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【2024/05/20 07:05 】 |
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三十二 一里塚の松 【安養寺】
32-1.jpg 一里塚の松は大里地区の西端で、児渡地区からは南方に当たり、車で約5分走ると閑静な安養寺集落に着く、村はずれの三叉路の中央には枝ぶりのいい松がある。

 この松は江戸時代参勤交代や旅人の横行するのにどれくらい歩いたのかを目安にするため、慶長13年(1608年)奥州街道の脇街道、白河~会津まで一里(3.93㌔)ごと道路の左右に盛土して松を植樹した。

 安養寺の塚には盛土がなく松だけが植えられており、今なお昔の面影を残し風情豊かで貴重な珍松である。

 松の根回り1.8㍍樹高8㍍地上の70㌢㍍から二又に分かれて均等のとれた古松である。32-2.jpg

 松の根本には庚甲塔寛保3年(1743年)と子育地蔵尊が祀られ、念入りに秋明童子と道春童女と判読出来たが年号は風化のため残念であるが判読できない。民間信仰の願いとして温情な地域住民が建立された尊い石碑である。

 この松は『緑の文化財・道ばたの文化財として永遠に後世に残したい』と、山口さんと熊田さんは話してくれて、その恩情豊かな言葉に深い感銘を受けた。
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【2008/12/18 10:08 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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二十三 お葉付イチョウ 【西小屋】
23.jpg お葉付イチョウの木は、国道294号、大里の信号機より西に約80㍍行くと武隈神社がある。その参道の右側にあって、樹幹を四方に伸ばし、うっ蒼と茂っている姿は正に神々しいの一言に尽きる。

 秋には、葉は鮮やかな黄金色になり葉の先端に実をつける。これは全国的にも珍しく、遠方から訪れた人々を案内すると、「葉の先に実がなるの?」とうなずきイチョウの巨木を見上げている。

 武隈神社は、南北朝の動乱の頃暦応元年(1338年)、北畠親房卿が天下泰平を祈願し、義良親王(後村上天皇)を奉ったものと言い伝えられている。ohatuki.jpg

 このイチョウの巨木は、樹高約32㍍、目通り4.7㍍、樹齢は推定300年で、県緑の文化財第213号に登録されている。また、神社の象徴として村民から親しまれ枝の付根から乳根が垂れさがり、母乳の神として崇められている。

 妊婦の方が参拝すると乳の出が良くなり、乳児も健やかに育つと伝えられている。
【2008/12/16 10:18 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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二十二 丹下の榎(えのき) 【丹下】
22.jpg 大里出田廻り、国道294号信号機のある十字路から東へ、約80㍍いったところの南側に薬師堂が祀られている。

 そこから更に北側へ入る道を7、8㍍行くと曲がり角になっていて、西側は畑地、東側は竹藪になっている。丹下の榎は、この竹藪の片隅に植えられていたが、平成2年大雪が降り、その重みに耐えかねて倒れてしまった。

 この榎は目通り4.4㍍、樹高約18㍍で、枝は北側に伸びて農道までも覆っていた。夏の暑い日などには、農作業を中断し涼しさを求め、一時しのぎのいこいの場所となっていた。

この樹は県の緑の文化財にも指定され第222号に登録されていた。

 榎は古代より神が降臨する樹といわれ、杜や家久根などにも植えられ山の神が宿るとも言われている。また、白子地区の中央には田の神様としてしたしまれた、目通り約5㍍の大きな木が、最近まであった。

 榎は地方によっては、『エノミ』とも呼ばれている。
【2008/12/15 10:16 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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二十一 愛宕神社の火防(ひぶせ)の霊境 【南沢】
21-1.jpg 南沢の火防の神愛宕神社は白河街道(294号線)大信村(現白河市)の境より東へ約1㌔㍍、集落の西部、南斜面にある。

 昔、伝えによると約200年前のこと、集落の裏山の3分の2以上被害遭う山火事があり、家居まで類焼し大騒ぎになった。住民たちも避難に苦しみ、今も悲痛な話が伝えられている。

 愛宕神社は疫病、火防、盗難除けの守護神として高い山に祀られていて、神社の参道両側には杉の木がうっ蒼と茂って、薄暗く正に神々しい。

 信仰深い住民たちは平成7年に石の階段を新調し、幅を1㍍も広く造り参拝する高齢者でもおもむろに登ることができる。21-2.jpg

 祭典は、毎年7月24日と定められ、係長を長百姓(オサビョクショウ)と呼び、庄屋、名主時代の言葉で懐かしい。

 係長の命令に従って、各家から稲わら大束一パの寄付を戴き灯籠の火袋に稲を入れ、点火するとパチパチと音をたて、火の粉を散らし暗闇の炎は美しく燃え上がり、子供たちは大喜びで賑やかな一夜の祭典である。

 このような火防の行事は蝉落しとも呼ばれて、約200年も継続されていると言われている。

 南沢の愛宕神社の信仰には頭が下がる思いで、やはり歴史や伝統を誇る区民たちの思いやりが伺われる。

 昔から『夏の火は、娘や嫁にたかせろ』と云われ、夏の火は胃腸病に効能があると云われている。
【2008/12/15 10:12 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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二十 丹下の椿 【丹下】
20-1.jpg 丹下の椿は本名ヤブ椿と言うが大里の信号機交差点の東、大里集会所のわきから北に向かって滑らかな坂道通り、人家から約130㍍で山の麓に着くが、この付近を円満寺(通称エマンジ)と呼んでいる。

山の麓には深緑広葉樹ヤブ椿が植樹され、うっ蒼と茂り、根元には正徳2年(1712年)の風化されている墓碑八基が佗しく行儀よく並び、ヤブ椿は樹冠を広げ碑を、雨雪から守っている。

 椿の樹齢推定約450年と思料され目通り1.37㍍樹高約8㍍であり、椿の目通り1㍍以上の巨木は県内でも珍しい貴重な椿で、緑の文化財である。
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 椿は3~4月にかけ深緑の中に真っ赤な花を咲かせ、先祖の霊を慰め人の心を和ませてくれる。実は絞り椿油として用いられ昔は機械や頭髪に付け、婦人達は女性のたしなみとして蓄えた貴重な油であったと言う。

 エンマジは真言宗に属し長沼町宮本の長楽寺の末寺として、松黒山安養院円満寺と称して天文元年(1532年)長楽寺の僧十世弘雄法印の閑居寺として開基されたと言われ、大里には南北朝の動乱の折り北畠顕家公の臣・天花寺越中守を伊勢から召され大里に山城築かせ南朝の義良親王を宇津峰に本拠として奥州を守り、城下のためにエンマジなどの廃寺が多いと感じられる。
【2008/12/12 09:46 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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