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【2026/02/06 02:50 】 |
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十八 大里城(牛ヶ城跡)の松 【大里】
18-1.jpg 古城、大里城跡は国道294号線大里四ッ角、信号機の北側にあり、その入口は平成9年に整備された。城山は少々急勾配な所があるが比較的容易に登ることが出来る。

 古城の伝えには南北朝時代、城主天花寺越中守を大将として義良親王(後村上天皇)を守護し、天正18年須賀川二階堂家の旗本、矢田野安房守義正が、仙台の伊達政宗公に攻められても、二ヶ月も持ちこたえた名城であり、牛は一般に動きが遅いので牛ヶ城と呼ぶようになったと伝えられている。

 頂上は史蹟とあって、かの白河藩主松平定信公が詠んだ碑が建っている。

『武隈のふた木のまつのふりし世を、問はば答へん峯の秋風。』
と石碑の高さ1.5㍍、巾0.83㍍の計である。18-2.jpg

 頂上からの見晴らしは立木があるため余り良くないが、古松はわびしく点在している。松は樹冠を広げうっ蒼と繁り、幹はこけむしていて辺りを覆っている。まさに古戦場の跡らしく雄大であり、約400年前の戦いを彷彿(ほうふつ)とさせる。

 目通り3.6㍍、樹高25㍍で、昭和58年2月県緑の文化財第209号に登録され、貴重な巨木である。
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【2008/12/11 09:45 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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十七 家垣(いくね)の胡桃(くるみ)の木 【寺ノ内】
17.jpg 胡桃の古木は時代につれ、少なく珍しい。この巨木は小沼さん所有で、諺(ことわざ)にある、「家垣に大木、家に年寄り」といった金言通り、小沼さんは大切に愛護している。

大きな枝を四方に伸ばし、うっ蒼と茂って屋根まで覆い、夏は緑豊かで涼しく4、5月ごろには花を咲かせ秋には実が熟し、冬には「ピュー、ピュー」と風が吹きすさぶ中、風除けとなって、あるいは類焼を防いでくれるその姿は頼もしく、この木を植えた先代の人に感謝さえ覚える。

長い間、年輪を重ね、樹齢約180年、目通り3.03三㍍、樹高約28㍍くらいで、もくもくと育っている。

 胡桃の木は、明治時代から鉄砲や、機関銃の床木やショウビハンとして使われ、戦闘機のプロペラの材料にもなった。
【2008/12/11 09:40 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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十六 大方寺のキャラボク 【寺ノ内】
16.jpg 大方寺のキャラボクは、県道矢吹~十日市線西小屋から南に入り、寺ノ内集落の高台にあり一目瞭然である。

 大方寺は曹洞宗華嶽山大方寺と称し、文明11年(1479年)開山されたとつたえられている。

 参道の石段を登り、左側に推定樹齢350年を越えるキャラボクが、樹冠を四方に広げている。樹高5.4㍍、胸高廻り2.15㍍で、昭和58年2月県緑の文化財第220号として指定、登録されている。

 キャラボクの幹には空洞があるが、樹勢は一向に衰えず、樹下に建立されている地蔵尊に、四季を通してうっ蒼と覆い被さり、わが子のように守っている姿は、墓参に訪れる人々の心をなごませてくれる。

 本堂の前には持経観音菩薩が安置され、先祖の霊をなぐさめ参詣される多くの人々の幸せと健康を見守っている。
【2008/12/10 09:34 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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十五 二木の松 【大里】
15-1.jpg 二木の松は西小屋集落の南方へ約150㍍先、一見して畑内の丘に位置しています。

 伝説をたどると、一本の赤松「女松」廻り約7.56㍍、更に館山(大里城)にある黒松11.34㍍もあった。この二本を合わせ『二木の松』と称された。両木は枝を互いに枝を差出し夜は夜と相寄ったと言われ、あたかも天空を覆うように樹冠を広げている様に見えた。

 松の下には大職冠鎌足公の詠んだ歌が石碑に刻まれている。
 『杳なる程を思えば武隈の松のみどりや君の行すえ』

 現在の松は三代目の松と云われ、目通り2.8㍍と3㍍、樹高19㍍で、昭和58年2月県の緑の文化財に登録され、貴重な古松である。
15-2.jpg
 昔、天智天皇の御代大化改新で有名な、藤原鎌足公が常陸の国(現在の茨城県)の鹿島神宮へ参詣での折、武隈の二木名松を訪ねようとしてみちのくへ来たが、稚児橋(児渡)にて道に迷い途方に暮れていると、どこからともなく童子が現れて、公の道案内をして、そこより山坂を越えて逢里(大里)に至り、待川に近づくと、川辺から童女が待っていたかのように現れるや、公は童子たちに汝らはと尋ねると、両童子は『此の土を守る陰陽の神霊なり』と答え、光を発し忽然と消えたと言う。

公は、武隈明神伊邪那岐(いさなぎ)命と伊邪那美(いざなみ)命、二柱の神に国家の安全を祈願し神領を寄進された。
【2008/12/10 09:30 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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十四 大里小学校のサルスベリ 【大里】
14.jpg 大里小学校の創立前は、高山寺(寺子屋)と言われ、学校の創立は明治8年5月である。創立の頃は4学年程度で、明治13年7月には上大里村と下大里村の中央に建設され、大里小学校と改名した。

 学舎の正門を入ると右側には赤松、左側には桜そして校長住宅の前の一角に珍木サルスベリが植えられてる。この木は丸山の添田氏が学校の教材用として寄贈されたもので、うっ蒼と茂った木は夏の終わりから秋にかけ、枝の先端に赤い花を咲かせ、勉学に励む児童らの心をやわらげているようだ。

 校庭にはたくさんの種類の珍木が植樹されているがサルスベリは珍しく、幹には空洞があるものの健在で、推定樹齢200年、目通り1.04㍍、樹高約七㍍で樹冠を広げた姿は風格にも増して美しく、緑の文化財として貴重な木である。

 また、言い伝えによると「サルスベリ」とは木の表面が滑らかでなかなか登れず、猿も木から落ちるに通じ、いくら小さな木でも侮るなかれと戒める教材としては適当な木である。児童らは力の限り精一杯走り回り、この木のように育つだろう。
【2008/12/09 10:02 】 | 大里| comment(0)| trackback()
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