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【2026/02/06 05:20 】 |
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九 権現様の一本杉 【今坂】
9.jpg 今坂集落の南方約600㍍の処に、古杉が自然に恵まれ権現杉と呼ばれている。あたりは水田で湿地帯になって居りよくぞ永い歳月風雪に耐えて来た、うっ蒼と茂り臥龍のように枝を四方に伸ばし威厳を保ち正に権現社の神木、神々しさが伺われる。

 樹の根本には鼻取地蔵尊が祀られ、古式時代がこみあげて来る。

 われ目通4㍍、樹高約15㍍で、昭和58年2月に県緑の文化財に指定を受けた重要な杉である。

 伝えに依ると、昔、この地は石背の首長石背國造第三世健与佐命(広戸神社鎮座)し、当地方の開拓の霊廟を安置し、跡地に児渡権現社建立し、米造始めアワ、ヒエなど穀物の神として信仰された。

 明治初期乞食が、一夜の宿をとり火災を起こし、社と共に巨大な松までも焼失したと云われている。

 また、天智天皇の頃、藤原鎌足公が東北巡視された時、公が道に迷い途方に明け暮れた時は、この地より神童「稚児」が現れ、公を案内されたという。
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【2008/12/04 10:25 】 | 広戸| comment(0)| trackback()
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八 板宮神社の檜(ひのき)  【白子】
8.jpg 板宮神社の檜は、福島交通の竜生行バスで中白子停留所で下車、西へ歩いて約5分の神社境内にある。

 社殿へ向かう参道沿いには年輪を積み重ね空へ真っすぐに伸びた古杉が立ち並び、その間には三春町出身で明治の自由民権運動のヒーロー河野広中書゛『神光覆天地』の石碑がある。

 石段を登りきったその左右に今回紹介する檜(夫婦檜という愛称もある)が、天高くそびえている。左側の檜は、明治の頃から雷に痛めつけられ、その傷跡が無惨にも残っている。

 この名木は、室町時代中期(天文元年・1532年)に藤原朝臣頼義と手島丹後守藤原義秀の二部将が、社殿拡張再興した際、植えたと伝えられている。

 樹高28㍍、目通り5.3㍍、推定樹齢約460年、昭和58年2月に県緑の文化財第208号に登録された神木である。
【2008/12/04 10:21 】 | 広戸| comment(0)| trackback()
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七 吉祥院のしだれ桜 【中屋敷】
7-1.jpg 白子地区中央、福島交通の須賀川~竜生線バスの中白子バス停前から北側に続く石畳を歩くていくと、前方にしだれ桜の優美な姿があらわれる。

 吉祥院は白子地区の菩提寺として永禄2年(1559年)真言宗富相山長福寺として建立された歴史のある寺である。

 このしだれ桜は、戦国時代にこの地域を治めていた、須賀川城主二階堂氏の家臣、矢田野伊豆守から当時の住職良堯が祈念樹としてもらい受け、現在の場所に手植えしたと伝えられている。

 その後、長い年月を経て、戦後は、地元の老人会の皆さんの温かな桜への7-2.jpg思いやりで管理されてきた。樹齢推定440年、樹高約15㍍、目通り3.55㍍もあり、淡いピンク色の花が咲いている太い枝が四方にかさ状に垂れている様は「美しい!」の一言。

 昭和58年2月、県緑の文化財第217号に登録されている。

 昔から付近の人々は、この桜の花の咲く具合を見て、農作物の種子を蒔く目安にしていたので別名『種蒔き桜』と呼んでいた。
【2008/12/03 10:04 】 | 広戸| comment(0)| trackback()
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六 薬師堂の銀杏の木 【太多郎】
6.jpg 薬師堂の銀杏の木は太多郎集落の東部県道に、通称安藤坂から北側に入り約100㍍の所に位置している。昔白子集落に疫病が発生し、たちまちに蔓延し全滅の状態で危うくのところ、弘法大師が通りかかり邪気を払い、苦しむ住民の難を救ってくれたと云う。

 後日その恩に報いるため、白子集落の東西入口には大像を祀り、遍照金剛を享和元年(1801年)に建て、その脇には歯の痛む人を治すイボとり地蔵様、子授け安産の神子安様が祀られ、信心するとお産が軽くなるという、尊い伝説が残る碑が建っている。

 薬師堂内には瑠璃光如来『寛永15年(1638年)の年号』と子安観音様が安置され、信仰すると願いが叶い母子共に健康で、子無くば授けてくれるという、うれしい言い伝えがある。

 お堂前には、巨木銀杏の木がうっ蒼と茂り枝は四方に延び、昼でもお堂は薄暗く木は主らしく威厳を保ち堂々とそびえている。

 樹齢約300年、目通り3.65㍍、樹高約23㍍で横枝から乳房のように垂れている。秋には黄金色に染まり、夕焼けに一層色鮮明な実をギッシリと枝に付ける。
 
 銀杏は栄養があって母子共に健康を保つと、二人の矢部さんは銀杏と薬師様信仰の話を元気良くしてくれた。
【2008/12/03 09:18 】 | 広戸| comment(0)| trackback()
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五 同期の桜 【太多郎】
 桜の古木は一般に、公園や城山に多く見られるが、太多郎地区には県道沿いに、同期の桜と呼ばれている古木がある。
5.jpg 一つは故陸軍少佐鈴木氏所有、もう一つは車田さん宅のもので、義父は大正3年、岩手県盛岡騎兵連隊に入営し当時は軍人として花形でした。

 「花は桜か、人は武士」といわれ、戦前、人々にもてはやされた。男性は皆兵隊に行くのが名誉であり、我先にと意気込んでいた。

 当時は日清日露戦争後のことで軍縮時代とあってか、容易に入営できず、車田さんは兵隊の花形、騎兵の姿は実に勇壮で女性のあこがれの的だった。

 また鈴木氏は、雪国新潟県高田の砲連隊に入営し、幹部候補生となり、たちまち将校に任官となって、広戸村人初の将校が誕生した。

 第二次世界大戦になり、陸軍少佐に任官されたが、戦いに敗れ永遠に帰還できない人となった。桜の花は4・5日の短命ですが、兵隊も戦場によっては、パッと散る運命にあった。

 この桜は目通り2.15㍍、樹高約10㍍、樹冠は東西に伸びていたが、住宅新築のため切られ、ゆっくりと時が流れ時代が変わってきているのだと、感慨深い気持ちになる。
【2008/12/02 09:48 】 | 広戸| comment(0)| trackback()
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